7/10から4日間、お世話になっている社長主催の「中国視察ツアー」へ参加。日系企業、中国ローカル数社を見学させてもらいました。金属製造業で働く現場の人たち、日本語の出来る現地ガイドさん、飲食店やマッサージ屋さんで出会う一般の人々。「中国の人はたくましい!」という印象を受けました。そして、中国で働いている日本人もまた「たくましく頼もしい」。今回知り合った日系企業の社長さんたちの考え方には学ぶことも多く、何らかのカタチで繋がりを持てたらと思います。いろんな意味で刺激を受けたので、この夏は小さい‘思いつき’の芽を育てたいと思ってます。ある種の“ひらめき”になるよう、浮かんだアイデアを頭の中でグルグル巡らせてみます。
奇遇でしょうか、私は4年前の7月、ちょうど参議院選挙を控えた、世間では3連休の日程が私にとっての初体験の中国訪問でした。
2泊3日の行程で、上海にあるホテル会議室での台湾系の中国法人の技術顧問(博士)との技術面談でした。
もう20年ほど過去の話になりますが、中国籍の留学生の行動や言動を学生時代に見て、「うちら島国そだちと違って大陸育ちだからか、大らか(大胆?)だよなぁ」と感じていたことを思い出しました。
都合、9月と10月末までの2ヵ月の期間中に計40日間の滞在と現地での交流?は、自分にとって大きな刺激となりました。
日本社会で生活していると、いろいろなシガラミがあって窮屈に感じることも少なくないのですが、それらから解放された様な、妙な放し飼いにされた感覚。
一連の仕事の区切りがついて以来、再度の接点をもてない環境に身を置く最近。
毎年5月頃にある、勤務先での自己記録に関する登録・確認にあった設問にて、ビジネスパーソン人生で初めて、仕事に関しての希望欄を埋めてみました。
可能であれば、現在調達している中国産資材に関しての折衝において、資材の担当者のほかに(or に代わって)、技術の分かる人間を出した方が都合よいのなら、私がその役を担いたいと。
歴史には明るくない私ですが、日本人は中国人と将来、仲良く共存発展していける素地はあると私には感じられました。
それよりも、いまの日本の置かれた状況を見て、グズグズしていると中国に猛追、そして追い越されてしまうといった危機感すら覚えた次第です。
Zearth様 すべては個人差があることを前提としても大きく捉えた時の「国民性」というものは、将来的に薄まっていくのでしょうか?各国の個性みたいなものが薄まったら面白くないと思うと同時に薄まらないと世界平和には近づけないのかな憂う気持ちも否めません。 Zearthさんがおっしゃるように、日本人と中国人が仲良く共存発展していけたら良いな思います。(国民の)数の差から考えると大国と小国ですから当たり前なのかもしれませんが、世界への影響力という点ですっかり追い越されていると感じる昨今です。異動希望欄を埋めた結果、反応はあったのでしょうか?
某過激派テロ集団に関するニュースや、昨年秋の英国や香港での出来事を見聞きし
人間というか、個人というか、自分が属する集団の属性?風習?について語るときの語彙について考える事があります
江戸時代では、各藩の藩主は、一国一城の主であったわけです
その当時、領地を州と呼んでいたのでしょうか(あてずっぽうで書いてます)
それが、明治維新がおき、廃藩置県がなされた結果、四十数で成る都道府県が生まれました
私が居住する某選挙区輩出の衆議院議員は「道州制」の推進に活発ですが
そもそも「道州制」の意味合いを理解している(イメージできている)日本国民は、いったい幾らの割合で存在するのでしょう
某地域では、都構想への移行に対しての議論が活発にあるやの報道ですが
当時者である住民は、そもそも東京23区での生活経験がある人に限定したとしても
某地域政党が導入?を推し進める都構想、そして、それを某地域に適用した場合の結果(住民としての幸福実感)に対して、どんなイメージを描いているのでしょうか
住民自治という理念は素晴らしいと思います
なに事も、自分に関することを自分で決められることは素晴らしいと思います
私が通った高校では、自由・自主・自律という、学校にとって、どういう位置付けかすら曖昧な言葉がひとり歩きをしていたため、私の意識に強く作用してるのかもしれませんね
会社での自己記録の件に関しては、異動希望を表明したわけではありません
現在のポジションのまま、自分の属する課の周辺で必要な在外法人(資本関係に関係なく)との掛け橋を担いたい、といった内容でした
反応は、いまのところはありませんね
果報は寝て待て、という都合の好い解釈をしておくことにしてます
Zearth様 改革を叫ぶリーダーたちのビジョンを当事者(国民や住民)がどれくらい理解しているか確かに疑問です。なんとなく素晴らしそうなイメージを浮かべることが出来たなら、そのリーダーを応援するのでしょうか?改革後が良いことづくめであれば大多数が賛成しますが、多くが誰かにとって良くでも誰かにとっては良くない、対立が生じることが多いと思います。国際問題ともなると歴史的背景を考慮しつつ、そもそもベースの考え方が違うことも理解しなくちゃなりません。住民自治は私も素晴らしいと思いますが、自治の為にはひとりひとりの住民がより深く考える習慣をつけないと駄目だと思います。何が正しくて、何が間違っているのか、情報の大海原で筏で漂っているように時々感じます。
おはようございます
「正しい」ものとは?
学校で先生の口から聞いた内容を記憶してるのだと思いますけど
「戦争は、正しいものが勝つ」
換言すれば、「歴史教科書は、戦争勝者が書く」
大学時代の講義で耳にした言葉があります
「非理法権天」
会社組織では、三権分立の適否は(私には)判断つきませんが
国や自治体には、少なくとも民主国家であるならば、現在のマジョリティであるようです
(敢えて、「正しい」という語は避けました)
こんばんは
ご無沙汰しております
某地域の住民投票は、反対票が賛成を1万票ほど上回って決着がつきましたね
私は傍観者の立場で見守っておりましたが、いざ、自分が当事者だったとしたら相当に悩んでいただろうと思います
自分なりに想像すると、今回の住民投票とは以下のイメージであったのだろうかと
イメージ例
売り子:さぁ、ここに赤い色した福袋と、青い色した福袋があります
赤色の福袋には、発売から年数のたったベストセラー商品が入ってます
一方の青色の福袋には、開発が終わったばかりの最新技術搭載の新製品が入ってます
どちらも、随分とお値打ちな商品がテンコ盛りになってますよ!
買い手:どっちらがお得なんだろう?
ベストセラー商品ならば、隣のリサイクル店で買い取り価格の事前調査が可能なんだけれども
一方の青色した袋の新製品は、買い取り価格が形成されてないからなぁ
ていうか、そもそも新製品を持ち込だところで、万が一に買い取り拒否されたら、どうしよう?
上のイメージ例は冗談ですが、昨今のスコットランドや香港での事例
そして、アメリカを訪れた沖縄県知事の行動を見ていると、住民自治の願いを実現させるべく一歩を踏み出すうねりは時代の趨勢なのかも
私の勤務先では、今年も自己記録点検表の提出時期がやってきました
さてと、今年はなんて書いてみようかなと
七夕まで、あと4週間となりましたが、今年は久しぶりに、短冊に願いをしたためてリアルに笹へ吊るしてみようかしら