レジリエンス

いつの頃からか「レジリエンス」という言葉をよく目にするようになった。教育関連の記事で見かけたのが最初だと記憶している。意味が分からなかったので調べてみると、心理学で使われていた言葉が近年教育分野でも使われるようになったという背景を知った。回復力、復元力と言った意味で、元々は物理学で使われる「弾力」「外の力からのゆがみを跳ね返す力」といった意味だそうだ。

ストレスも元々は物理学用語だそうだから「ストレスを跳ね返す力」がこれからは特に必要だと、いろんな分野で言及される頻度が上がったということだろう。日刊工業新聞でも今、にっぽん再構築~レジリエンス~と言うタイトルの記事が一面で連載されている。超ストレス社会では、人も企業も国家もレジリエンスを高めましょうという話である。10年前の今日、大地震と原発事故に見舞われても暴動を起こすことなく、人命救助と復興に全力を注ぐ日本人の姿は世界中から、そのレジリエンスの高さを賞賛されたらしい。日本人自身は、レジリエンスの高さをあまり自覚できていないのが残念ではあるが、そう簡単に自覚できたり、身に付けたりできるものではないような気がする。

レジリエンスを築く10の方法
1.親戚や友人らと良好な関係を維持する。
2.危機やストレスに満ちた出来事でも、それを耐え難い問題として見ないようにする。
3.変えられない状況を受容する。
4.現実的な目標を立て、それに向かって進む。
5.不利な状況であっても、決断し行動する。
6.損失を出した闘いの後には、自己発見の機会を探す。
7.自信を深める。
8.長期的な視点を保ち、より広範な状況でストレスの多い出来事を検討する。
9.希望的な見通しを維持し、良いことを期待し、希望を視覚化する。
10.心と体をケアし、定期的に運動し、己のニーズと気持ちに注意を払う。

アメリカの心理学会が、この「レジリエンスを築く10の方法」を提唱したのが2014年で、2013年の世界経済フォーラムのメインテーマが「レジリエント・ダイナミズム(弾力性のある力強さ=強靭な力)」だったということだから、経済界でも使われ始めて8年も経つようだ。

10の方法を見ると、そのまま「経営者の心得10カ条」として使えるのではないかと思う。最初の「親戚や友人ら」を「社員や顧客、取引先、株主」に書きかえればハイ出来上がり、といった具合だ。

いまだ完全に過去形には出来ない状況だが、コロナ禍だった2020年は“心と体をケアし、定期的に運動し、己のニーズと気持ちに注意を払って”過ごした。年が明け、“変えられない状況を受容する”のに1ヵ月の時間を要し、先月は必死になって“希望的な見通しを維持し良いことを期待し、希望を視覚化する”作業を進めたことで“自信を深め”られた。

というわけで、取り消し線を入れた、まったく注意を払わなかった“定期的な運動”で筋力と体力をつけ、今後襲い掛かってくるやもしれない“不利な状況”や“損失を出した闘い”に備えたいと思う今日この頃である。運動嫌いの私にとって苦痛でしかない“定期的な運動”ではあるが、実際の筋力ではなく、しなやかで弾力のある精神力は是非とも鍛えたいと思う。

父曰く「人生は真剣に生きたらいいけど、深刻になる必要はない」らしい。おそらく“危機やストレスに満ちた出来事でも、それを耐え難い問題として見ないようにする。”と同じことだろう。冗談を連発しまくるシャチョーさんたちをなぜか尊敬してしまうのは、彼らのレジリエンスの高さゆえかもしれない。

逆の発想

夕陽に向けて置いた椅子

 ブログがなかなか更新できない理由のひとつに、ちょうどいい挿絵となる画像がない、ということがある。ブログだから画像がなくてもいいようなものの「アイキャッチ画像」なんていう言葉を最近知り、発信するには目を引く画像がある方が良い世の中。師走に目標達成のためにせっせとブログネタを探しもがいている私には、ちょうどいい画像を探すことにも時間を費やしているのである。ブログに合った画像を探し求めてフリー画像を検索する始末。そんな時にふとひらめいた!ブログに合った画像を探すのではなく、画像から着想してブログを書くってもありではないか。それならブログと画像はぴったんこカンカン♪ ふふふ。これでブログの更新頻度は上がるに違いない。

 というわけで、フリー画像をダウンロード出来るサイトに登録。商用使用も加工もOKの画像集。な、なんと大量にあることか。選ぶ作業だけでも結構時間かかるや~ん( ;∀;)。しかもダウンロードしようとすると、敵もさるもの、5枚ほどの画像の評価をリクエストしてくる。そうか無料なだけに情報集めようとするわけね。自分で写真撮った方が時間かからないのでは?とついさっきの閃きに小躍りした自分に疑いの目を向けながら、ようやくダウンロードした画像がこちら。

 夕陽に向けて置いた椅子と題してあったが、この画像から思い出した風景がある。海外放浪の旅に出かけた若かりし頃。10代のうちに世界をこの目で見てみたいとせっせとお金を貯めて、憧れのヨーロッパ周遊、美術館巡りを企てた。意気揚々と出かけてはみたものの志半ばで置き引きに合い、予定変更を余儀なくされながらもなんとか予定の5週間をヨーロッパで過ごすことになったのだ。身に着けていた腹巻もどきのウェストポーチにはパスポート、帰りの飛行機のチケット、ユーレイルパスとトラベラーズチェック。スーツケースも着替えもカードも現金もないが、旅は続けられる。身軽になり、旅行者とは思えない出で立ちで、日本へ帰る飛行機の出発地となるスペインを目指した。

 移動中の鉄道の車窓から見た椅子のことを、ダウンロードした画像を見て思い出したのだ。なんでこんなところに椅子?と思ったのを覚えている。画像のような平坦な土地ではなく、起伏のある丘陵地にポツンと。野外用には見えない木枠に布張りの椅子が鉄道の方を向いて置いてあった。近くに小屋も人影もない。誰かが時々ここへきて来て座り、鉄道を眺めるための椅子だったのだろうか。今となってはあれがどこだったのかさえ定かではない。スペインの北の方というぐらいしか覚えていない。カメラも盗られたので、その当時の写真は一枚もなく、自分の脳裏に焼き付いた場面だけが思い出である。思い出す機会も減った今、どんどん記憶は薄れていく。

  ブログネタを探す行為から、古い記憶を思い起こすことになろうとは。無理矢理でも目標達成しようともがいた甲斐がある。
とはいえ来年も目標を設定するべきかは…正直まだ悩んでいる( ̄ー ̄)。

いま、思うこと

うねり

 タイトルには「いま」と書いているものの、これを書いたのは数カ月前。コロナ禍でひとり時間がたっぷりあった時に綴ったものである。今だ!ブログを書き貯めるぞ!と3本書いた。投稿するタイミングを逃して今更感の濃い1本はお蔵入り。白状すると、前回のブログも5月ごろに書いたものだ。今読むと古新聞ぽく仕上がっているが、まだマシと判断して掲載することにした。目標達成のための悪あがきと思って読んでもらえたら有難い(;^ω^)。

 ひとり時間が増えて、いろいろと思い直しながら、いま思うこと。それは、人との物理的な距離が離れた分、心の距離が近づいたように思う感覚だ。有難いなぁ~と、感謝する気持ちが溢れてくる。まだまだ財務体質が貧弱なエストロラボで働き続けてくれている社員たち、会社大丈夫~?と心配してくれる旧友たち、産み育ててくれた母、たっぷり愛情を注いでくれた亡き父、よき理解者である個性豊かなきょうだいたち、指南してくれる先輩経営者たち。周りの人に恵まれたことに対しての感謝の気持ちが溢れてくる。気持ちは伝えないと伝わらないとも言うけれど、心の距離が近づいたことで、以前より伝わっているような気ががする。いま、世界中で多くの人々が最前線で働く医療従事者の方々に向けて感謝の意を表している。フライデーオベーションもそのひとつだけど、人が人を想う気持ちのうねりのようなものが世界中に溢れているように感じてならない。

 という一方で、白人警官による黒人の暴行死をきっかけに抗議デモと暴動が各地で頻発しているアメリカ。コロナ禍の自粛ストレスの蓄積により一気に噴出したとも、もっと根深い人種差別による過激化とも言われている。このエスカレートしていく感じが目に見えない「うねり」だと感じる。良いうねりで溢れた世界がある一方で、差別や偏見が不安や恐怖をきっかけに悪いうねりとなってあっという間に蔓延してしまう。悪いうねりが不安や恐怖を増幅させる負のスパイラル。世界を良いうねりで覆いつくせる日は来ないのだろうか。

 新型コロナウィルスという未知のものに対する不安、恐怖から生まれた良いうねりのことを考えると、正負や善悪の間を行ったり来たりしながら少しずつしか成長できない人間。そこにこそ、人間らしさのヒントがあるのかもしれない。

家事について

 ひとり暮らしの私は、基本ひとりでごはんを食べているはずだが、多忙にかまけて食事を抜くこともあるし、外食も多い。人を招いてのおうちごはんも好きなので、「ひとり飯」がこんなに長い間続いたのは人生で初めての経験であった。そんなステイホーム期間に取り組んだことがある。自分のためにだけ作るごはんは、料理が好きといっても、人に振る舞うときほどの力は入らない。ご飯に振りかけ、バナナとコーヒー、で済ますこともしばしばだ。そんな食生活が長く続くとカラダに良い訳がないし、世間では免疫力を上げろ上げろと言われていた時期。なので、バランスの良い食生活を目指して自粛期間中は食事を撮影することにした。写真を撮って記録を残すとなると、なぜだか頑張れた。

 彩りにも気を遣うし、器も選ぶ。なんだか楽しくなってきて品数も増えた。良いこと尽くしのようだが、難点も発覚。ひとつは、撮影するがために料理が冷めること。もうひとつは、品数を増やそうとすると食材の種類も増えるので腐らせてしまう可能性が上がることだ。なんとしてでも使い切りたい、同じ食材でも出来るだけ違う味で楽しみたいと思えば思うほど、食事について考える時間が増えるのだ。消費する順番を考慮した上での飽きの来ないメニュー構成。栄養バランス。何がどれくらい残っているかの在庫管理と無駄のない買い出し。

 家族の食生活を一手に担う人ってほんま凄いな、と改めて感心した。ひとり暮らしに比べたら作る量も多い。好き嫌いのある子どもがいたり、時間差で帰宅する家族にも早朝のお弁当づくりなど、すべてに対応。料理だけでなく、掃除に洗濯、子育てに介護、プラス仕事もする人たちがいる。こんな重労働を365日続けているなんて。超人的に感じるし、家族のためにだから出来るかな、と思い直したりした。

 ステイホーム生活で家族の時間が増えて嬉しいというインタビューをテレビで観て、同居する家族がいるっていいな、ステイホーム=ひとりじゃないって羨ましいなと思った私。一方でステイホーム生活で虐待が増えた、離婚が増えたというニュースを聞いて、悲しい気持ちになり、ひとりで良かったかもと思い直す私もいる。思い直しを繰り返しながら、今思うことを次のブログでは書いてみようと思う。

MIMOCA

MIMOCA

 前回のブログで予言したとおり、香川県で訪れた美術館について書く。書くことが決まっている安心感。ブログの更新回数の目標を設定する時点でタイトル(テーマ)だけでも決めておけば書きやすいのではと、今頃になって思う私。今回訪れたのは「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)」。今までに2回行ったことがあり、また行きたいと思わせる大好きな美術館のひとつである。

 丸亀と言うと「丸亀製麺」を思い出す人が多いと思うが、株式会社丸亀製麺の本社所在地はなんと兵庫県で、丸亀市内に丸亀製麺は存在していない。うどん県と呼ばれる香川県に丸亀製麺は2店舗しかない。競合が多いということか。

 さて、美術館に話を戻そう。
講演の仕事で高松市に呼んで頂いたので、また行きたいという思いが強く残っている丸亀市現代美術館の開催中の企画展について調べた。タイトルは「窓展 窓をめぐるアートと建築の旅」。なんの迷いもないぐらい興味をそそるタイトル。コロナ禍で予約制になっている美術館もある中ふらっと立ち寄れること、本来は2020/7/11-9/27だった開催期間が2020/10/13-2021/1/11に変更になっていたことに勝手に運命を感じ、これは行くしかない!と往復の電車の時刻を確認。気分的には講演を済ませ、開放感をもってアート探訪としたいところだったが、講演前の午前中の時間を使って高松、丸亀を往復することにした。

窓展 窓をめぐるアートと建築の旅

 「窓」が描かれている絵画が古今東西問わず並べられていると想像していたが、想像をはるかに超えた展示物で驚いた。副題に「アートと建築の旅」とあるように、建築からの視点でどのように採光を取り入れるかまで計算しつくしている設計図もあり、額縁すらある意味「窓」であるという解釈で展示されている絵画もあった。壁一面に時系列に並べられた古今東西の「窓」にまつわる写真や文献。前に立つと巨大扇風機がオンになり、その風の力で窓の扉が開いたり閉じたりするインスタレーションもバタンバタンという音とともに楽しめるようになっていた。パウル・クレーの小さい四角を並べて描かれた抽象画も小窓に見えてくる不思議。

 いちばん面白かったのは、日中韓のアーティスト3人によるユニット・西京人による「西京国」のインスタレーション。架空の都市国家「西京国」の入国管理局をグローバルスケールの視点で「窓」と見立てての展示。展示だけかと思いきや、その先に進むには、入国検査場の規則に従って次の4つのいずれかを選択しなくてはならないと、ゲートに座る女性がおっしゃる。

とびきりの笑顔か、お腹の底からの大笑
または
お好きな歌を一小節
または
チャーミングな踊り

 この静まり返った美術館でどれか選べとは。なんと斬新な企画!

 飛沫感染と、これ以上笑い皺が深く刻まれることを恐れた私は、チャーミングな小躍りを選択。無言で踊って無事ゲートをくぐり、西京国に入国できた。視聴者を巻き込むインスタレーション。世界中にある移民問題や各国が分断しつつある現実の閉塞感におもいきり疑問符を突き付けてくる作品だった。

西京入国管理局

毎回驚きと気づきを与えてくれる丸亀美術館の企画に賞讃を送りたい。
高揚した気持ちを抱えたまま、苦手な講演会に挑み、調子を上げてブログを書いている私である。

この企画展、来年1月11日まで。超おススメです♡。
窓展 窓をめぐるアートと建築の旅

新しい講演様式

広い会場に…

 太陽の塔が赤く照らされ、大阪モデルで言うところの「非常事態」。本当は外出自粛すべきだが、講演依頼を受けて香川県へ。感染者数の少ない県に大阪からやってきて嫌がられないものなのだろうか。その心配は的中し、リアル受講者は3人。オンライン受講者が約20人という結果に(;^ω^)。広い会場に受講者3人、事務局の方2人と私の6人。これが新しい生活様式ならぬ、新しい講演様式なのかもしれない。こんな状態なら私もオンラインで良かったのでは?という思いも残るが、交通費や宿泊費まで出していただけるということで、便乗して愛媛の取引先訪問を果たし、空いた時間で美術館に行くことも出来た。大勢の前で話すと無駄に緊張する私にとって、リアルが少人数であったことは有難く、結果大満足の旅となった。


 講演のテーマは「女性の働きやすい職場を作るための取り組み」。創業以来取り組んできたことを事細かにお伝えした。うちでやってきたことがどんな会社にも当てはまるとは到底思えないので、出来るだけ活発な質疑応答が出来るよう、事務局の人と打合せをし、オンライン受講者からの質問はチャットで受け付けるようにした。最初に私から「あなたにとっての働きやすい職場とは?」と問いかけたところ、風通しの良い会社、話しやすい会社、意見が出しやすい会社、休みがとりやすい会社、空調設備が整った会社といった意見が出た。

 働きやすさも千差万別であり、働く人全員の働きやすさを追求するのは至難の業だが、意見の出しやすい風通しの良い会社であれば、いろんな壁にぶつかるごとに意見交換が行われ、その時の最善策をとれるのではないかと思う。VUCAの時代と言われる昨今、今その時の最善策を選択し続ける柔軟さが求められている。柔軟さや小回りがきくという点は、中小零細企業の強みとなる気がする。


 話が進む中で、チャット内の質問が溜まっていき、リアル受講生に分かるようにチャットの質問を音読し、ひとつひとつに答えていく。リアル受講生の3人は、カメラの前で質問し、オンライン受講者と共有する。それに私が答えるといった具合だ。有難いことに予想以上に質疑応答が活発になり、あっという間に時間が過ぎた。一方的に話すより、具体的な質問に答える方が私もやりやすく、離れていても同じ場を共有している感覚を得ることが出来た。


 大勢がいる中で手を上げて質問するのは勇気がいるというか、日本人には苦手な人が多いと思う。特に第一声はなかなか勇気がいる。これまでの講演会で、幾度となく静まり返る質疑応答時間を体験してきたが、文字で質問する方式は日本人向きなのかもしれない。年末に向けて頻度を上げてブログを更新することを自分に課している私としては、この時期に、いろんな経験をさせてもらえた今回の出張は貴重でしかない。次は美術館で感じたことをネタにブログが書けそうである(うしし)。